ぺんしるブログ

行き先不安な現代社会。僕たちは社会科で何を学んできたのか。

第6号 これは完璧で究極のっ…?

公民の授業と聞いて、何を習ったか読者諸君は思い出せるだろうか。

東京書籍の公民教科書を見ると前半に政治分野、後半に経済分野が

掲載されている。

そして高校へ行くとこれが政経や倫理、現代社会へと分化していく。

ちなみに現代社会はという科目はなくなりつつあり、

2022年度から新たに「公共」という科目が導入されたそうだ。

筆者は勿論受けたことがないから、科目としてどんなことをねらっているのか、

以前の現代社会との違いは何か、気になるところである。

ちょうど知り合いに県立高校に勤務する社会科教員がいるので、

今度いろいろ聞いてみようと思う。

情報を整理出来たら、またこれについても投稿しよう。

 

さて冒頭にもあるように、この公民という科目は、

その名称によって一括りにされているものの、

内容は政治分野、経済分野、さらには倫理分野とかなり広範囲に渡っており、

これは前稿で見た歴史や地理と決定的に異なる部分である。

さらに学校教育という枠組みで見たときにもう一つ特徴があり、

それは以前からも紹介しているように公民の学習とは、

地理と歴史の学習を下地として立脚している、というものである。

地理分野が現在、歴史分野が過去を捉えるという姿勢ならば、公民分野は未来志向を姿勢を採っているのではないかと筆者は考えている。

地理分野はその土地で現在起こっていること(多少の歴史的背景を含む)を学び、

歴史分野はその土地で過去に起こったことを学ぶ。

地理では産業や人口、交通といった経済的な要素を学習するのに対して、

歴史では一部文化史を含めながらも政治史的な要素を学習する。

これが中学3年生で扱う公民の基盤になっているというのだ。

公民の教科書は、政治的・経済的課題について問いを投げかけている記述が多い。

そう考えると、一応理屈としては地歴科と公民科の関係を説明できる。

 

ただ意外なことに、元はこの公民、「公民」という名称ではなく、

「政治・経済・社会的分野」という名称だったそうな。

筆者はその時代に学んだ学生ではないので、もし読者の中でそのような

ご記憶がある方はぜひコメントいただきたい。

 

「政治・経済・社会的分野」から「公民的分野」という言い方に変わったのは、

1969(昭和44)年の学習指導要領の改訂によってである。

こうした名称変更の背景には、中学校の最終学年において、

社会科としての教科のまとまりを図るためであった。

当時の「政治・経済・社会的分野」には、4つの単元があった。

政治単元、経済単元、社会単元、国際単元である。

ただこれら4つの単元には、相互関連があまり見られなかったうえに、

社会科学的な堅い内容で、中学校段階として適切か、という問題が挙がっていた。

 

こうした反省に基づき、1つの分野としてまとまりを出すために、

「公民」という名称が生まれた。

さらに呼び名だけでなく基本的なねらいや性格も統合された。

特に強調されたのが、政治・経済・社会などに関する基礎的教養を獲得することで、

自由と責任、権利と義務についての正しい認識を行うこと、という内容である。

 

また、学習内容も家族や地域に関することなど、学生にとって身近な話題が

盛り込まれるようになった他、他教科との関連も見られるようになった。

(例えば経済分野では「消費生活」に関する内容を学習するが、

家庭科でも共通する項目を扱っている。)

 

こうした課題の噴出と軌道修正を加えながらも、公民や社会科という教科は

今日に至っている。一見完璧なシステムに見えるπ型も、

大枠としてはそう見えるだけで、その内情は様々な要素が途中でくっついたり、

切り離されたりしながら、今の形に仕上がっているのである。

言い換えれば完璧な教育法など存在しない。

常に時代のニーズに合わせてアップデートしていかなければならない、

ということだろうか。

 

参考

朝倉隆太郎「学習指導要領の改訂と現場の実践」『社会科教育研究』第44号 1980年

『新版 社会科教育事典』日本社会科教育学会編 ぎょうせい 2014年