ぺんしるブログ

行き先不安な現代社会。僕たちは社会科で何を学んできたのか。

第8号 変わるもの、変わらないもの

公民という科目は、中学校の第三学年から始まるが、

実はそれ以前にも言葉自体は、もう少し前に出会っている。

それはどのタイミングかというと、第一学年歴史の「公地・公民」である。

さあ、何時代の言葉だったか覚えているだろうか?

 

答えは飛鳥時代で645年のことだそうな。

有力豪族の力を削ぎ、天皇中心の中央集権国家を築くために、

土地と人民を国家の所有とした体制である。

公地・公民前後の徴税の様子の変化。各地の有力豪族が支配していた土地と人民を国家が直接支配する仕組みに変わったとされる。

かなり古くから使われていた言葉だが、公民は「オオミタカラ」とも読まれていた。

また「オオミタカラ」は「大御宝」とも書かれ、天皇にとって

人民は宝であることが示されている。

何とも有難いお言葉である(大+御 で強い尊敬を表す)。

 

そこから中世にかけて公民という言葉は聞かれなくなるが、

近代の明治時代末期になって、「地方の有権者」という意味で、

「市町村ノ公民」という言葉が登場する。

ただ大日本本帝国憲法の学習でも出てきたように、

国民は「臣民」という位置づけであり、天皇の民、すなわち皇民=公民という

意味になった。教育も当然同様の性格を帯びていたことになる。

天皇大権の下での公民教育だったのである。

 

ただ、そのような前提があったものの、近代国家である大日本帝国としては、

全ての国民に、国家の形成者としての資質を育てる義務があるわけだから、

社会制度や地域社会との関わり方について学んでもらわないといけない。

そこで1924年(大正13)に出された実業補習学校(農業)の公民科教授要綱を観てみよう。

ちなみに実業補習学校とは、高等小学校中学校高等女学校などの中等教育

進学しない義務教育修了者で、勤労に従事する青少年を対象に実業教育を実施していた

学校だそうだ。教授要綱は農村用と都市用の2つがあるが、ここでは農村用を取り上げる。

1924年発行の実業補習学校公民科教授要綱(農村用)の単元内容。釜本健司氏『戦前「公民科」の成立と公民教育論の諸相ー『教科構造』を分析視点としてー』(2005)より抜粋。

まず特徴的なのが農村用の公民科ということで、

農業社会に関する単元が点在することである。

第一学年の14.農村ト青年や、第二学年における12.農会、13.農村ノ開発などは

それをはっきりと示している。また筆者の調査が不十分なため、

詳細は分からないが、例えば第一学年における6.財産であったり、第二学年の9.租税

第三学年の14.社会改善も、おそらく学習者にとって関わりの深い農村社会の要素を

含んでいるのではないかと推察できる。

 

また町村会帝国議会などの政治的分野一家ノ生計租税といった経済的分野

さらに我ガ郷土社会改善、世界ト日本などといった社会的分野も盛り込まれている。

そしてここはやはり戦前を感じるのだが、天皇臣民、国防といった内容もある。

とはいえ第一学年から第三学年にかけて、扱う社会の範囲が、

地域社会 ⇒ 町村や府県 ⇒ 国家 ⇒ 世界、というように徐々に広がっていくことも

分かる。この要綱に関連して以下のような主張もされている。

 

「余は第一に『人ト社会』より出発して、出来る丈(だけ)児童生徒の身辺より説き、

家、学校、職業、郷土、市町村、国家、世界等次第に大なる社会に及ぶを適当なりと

信ずる」

 

さてここまで見てきたように、実際どのように授業運営がなされてきたのかは

別として、少なくとも内容論としては戦前の教育と言えど、

現在の公民教育と共通したものがあるようだ。

 

戦前の教育、と聞くと国家や天皇のために全てを捧げる国民となるための指導、

というイメージが強い。勿論そういった場面があったことは事実だろうし、

特に戦火が激しくなってきた頃などはその傾向が一段と強かっただろう。

しかし、だからといってその全てに一様にレッテルを貼ることもまた

誤りであると感じる。

戦前の社会科の歴史はまだ十分に研究がなされていない。

今後ますますこの分野に光が当てられることを願う。

 

参考

平田嘉三『「公民」の概念と「公民的資質」』社会科教育研究 第49号(1983)

釜本健司『戦前「公民科」の成立と公民教育論の諸相ー「教科構造」を

分析視点としてー』社会科研究 第62号(2005)

 

第7号 学問に隔たりはない…ってコト?

前稿では公民科は地歴科と比較して、政治・経済・社会など、

扱う範囲が多岐に渡るという面で、大きく異なっている。

また、公民科は1969(昭和44)年以前は、公式には「政治・経済・社会的分野」と

呼ばれており、分野としての統合を図るために、

名称の他に目標や内容を再検討した、という話をした。

ちなみに、このときに目標として掲げられた自由と責任、権利と義務についての

正しい認識を行うこと、という文言は、現行の指導要領にも引き継がれている。

 

ではその公民はどのような学習項目が設けられているのだろうか。

下の図は学習指導要領(平成29年)からの抜粋である。

「中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 社会編」より抜粋。A~Dで公民の大単元が示されている。

これを見て読み取れることを幾つか示す。

①第3学年から始まる公民の学習には、地理で獲得した空間的認識と

歴史で獲得した時間的認識、そして社会的事象を因果関係によって

結び付けて説明する資質が前提となっていること。

 

②公民といってもいきなり政治や経済の単元から始まるのではなく、

項目Aにもあるように、社会単元から学習していくこと。

また項目Aにおいて、その後の項目B、C、Dである経済単元、政治単元、国際単元

を学習するうえでの基盤となる概念を習得する構造であること。

 

③項目Dの国際単元の終結部だけは独立しており、国際社会における諸問題を

考察する内容が設けられていること。

 

①については、これまで何度か見てきたように、最終学年として公民は、

π型社会科における集大成として位置づけられているということ、

また中学校だけでなく、小学校段階での学習も含めた社会認識を基盤

としていることが分かる。

 

②について、これは実際の教科書の構成を見た方が分かりやすい。

上図の学習指導要領における項目A「私たちと現代社会」の単元は、

東京書籍の公民教科書では次のような配列になっている。

 

第1章 現代社会と私たち

第1節 現代社会の特色と私たち

 導入 T市のまちの様子から現代社会をながめてみよう

  1 持続可能な社会に向けて

  2 グローバル化 結びつきを深める世界

  3 少子高齢化 変わる人口構成と家族

  4 情報化 情報が返る社会の仕組み

第2節 私たちの生活と文化

  1 私たちの生活と文化の役割

  2 伝統文化と新たな文化の創造

  3 多文化共生を目指して

第3節 現代社会の見方や考え方

  1 社会集団の中で生きる私たち

  2 決まりを作る目的と方法

  3 効率と公正

  4 決まりの評価と見直し

まとめ T市の自転車の使用ルールを考えよう

 

そしてこの第1章の後には、

第2章 個人の尊重と日本国憲法(項目C 私たちと政治 に相当)

第3章 現代の民主政治と社会(項目C 私たちと政治 に相当)

第4章 私たちの暮らしと経済(項目B 私たちと経済 に相当)

第5章 地球社会と私たち(項目D 私たちと国際社会の諸問題 に相当)

と大単元が連なっていく。

 

第1章の内容で注目すべきなのが、

現代社会の特色として、グローバル化少子高齢化、情報化の3点が

 挙げられていること。

文化は、国内のものと国際的なものの2つの側面が挙げられており、

 上記の3つの特色とは独立した扱いを受けていること。

現代社会の見方・考え方として、ルールの決め方、

 そしてそれに伴う効率と公正の概念の獲得が設定されていることが分かる。

 

❶について、この3つの視点は学習指導要領にも記載があり、

社会や産業の様子の変化(例:核家族化の進行や情報産業の急速な発達など)

理解することが目標となっている。

この3つの視点は、後に詳しく学ぶ政治・経済・国際単元を考えるうえでの

レディネス(予備知識)になっているのである。

ちなみに、これより前の地理の学習でもグローバル化少子高齢化、情報化を

学ぶ項目は存在しているので、この3つの視点は公民で再び登場することになる。

 

❷の文化は上の3つの視点には含まれず、少し離れた扱いをされているが、

これはグローバル化少子高齢化、情報化はどちらかというと社会的な現象として

終始している一方で、文化とは私たちの見方や価値観に大きな影響を与えている

という面で本質的に異なることを意味しているからだと思われる。

 

❸の効率と公正についてだが、読者諸君はこの2つの違いを説明できるだろうか。

ちなみに東京書籍の教科書では、効率とは「社会全体で無駄を省くこと」、

公正とは「一人一人を尊重し、不当に扱わないこと」と説明されている。

さらに踏み込んで公正には、物事の決定には全員が対等な立場で参加すべきである

という「手続きの公正」、また理由なく機会を奪われたり、

不当な損失を受けることがないようにとする「機会や結果の公正」に分かれる。

またこれ併せて多数決の原理と少数意見の尊重、

さらには対立と合意の概念も説明されており、

この後に続く政治単元、経済単元、国際単元の素地になっていることが

想像できるだろう。

公民は政治・経済・社会・国際といった広範囲に渡る学習であるため、分野としての統合性をどのように担保するかが、実際の授業レベルでも課題となる。

前稿で「公民」という名称になる前の「政治・経済・社会的分野」では、

科目としてのまとまりが不十分であった、ということが指摘されたが、

現在はこのような単元構成をもって、科目としての統合性を出しているのである。

 

参考

中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 社会編

第6号 これは完璧で究極のっ…?

公民の授業と聞いて、何を習ったか読者諸君は思い出せるだろうか。

東京書籍の公民教科書を見ると前半に政治分野、後半に経済分野が

掲載されている。

そして高校へ行くとこれが政経や倫理、現代社会へと分化していく。

ちなみに現代社会はという科目はなくなりつつあり、

2022年度から新たに「公共」という科目が導入されたそうだ。

筆者は勿論受けたことがないから、科目としてどんなことをねらっているのか、

以前の現代社会との違いは何か、気になるところである。

ちょうど知り合いに県立高校に勤務する社会科教員がいるので、

今度いろいろ聞いてみようと思う。

情報を整理出来たら、またこれについても投稿しよう。

 

さて冒頭にもあるように、この公民という科目は、

その名称によって一括りにされているものの、

内容は政治分野、経済分野、さらには倫理分野とかなり広範囲に渡っており、

これは前稿で見た歴史や地理と決定的に異なる部分である。

さらに学校教育という枠組みで見たときにもう一つ特徴があり、

それは以前からも紹介しているように公民の学習とは、

地理と歴史の学習を下地として立脚している、というものである。

地理分野が現在、歴史分野が過去を捉えるという姿勢ならば、公民分野は未来志向を姿勢を採っているのではないかと筆者は考えている。

地理分野はその土地で現在起こっていること(多少の歴史的背景を含む)を学び、

歴史分野はその土地で過去に起こったことを学ぶ。

地理では産業や人口、交通といった経済的な要素を学習するのに対して、

歴史では一部文化史を含めながらも政治史的な要素を学習する。

これが中学3年生で扱う公民の基盤になっているというのだ。

公民の教科書は、政治的・経済的課題について問いを投げかけている記述が多い。

そう考えると、一応理屈としては地歴科と公民科の関係を説明できる。

 

ただ意外なことに、元はこの公民、「公民」という名称ではなく、

「政治・経済・社会的分野」という名称だったそうな。

筆者はその時代に学んだ学生ではないので、もし読者の中でそのような

ご記憶がある方はぜひコメントいただきたい。

 

「政治・経済・社会的分野」から「公民的分野」という言い方に変わったのは、

1969(昭和44)年の学習指導要領の改訂によってである。

こうした名称変更の背景には、中学校の最終学年において、

社会科としての教科のまとまりを図るためであった。

当時の「政治・経済・社会的分野」には、4つの単元があった。

政治単元、経済単元、社会単元、国際単元である。

ただこれら4つの単元には、相互関連があまり見られなかったうえに、

社会科学的な堅い内容で、中学校段階として適切か、という問題が挙がっていた。

 

こうした反省に基づき、1つの分野としてまとまりを出すために、

「公民」という名称が生まれた。

さらに呼び名だけでなく基本的なねらいや性格も統合された。

特に強調されたのが、政治・経済・社会などに関する基礎的教養を獲得することで、

自由と責任、権利と義務についての正しい認識を行うこと、という内容である。

 

また、学習内容も家族や地域に関することなど、学生にとって身近な話題が

盛り込まれるようになった他、他教科との関連も見られるようになった。

(例えば経済分野では「消費生活」に関する内容を学習するが、

家庭科でも共通する項目を扱っている。)

 

こうした課題の噴出と軌道修正を加えながらも、公民や社会科という教科は

今日に至っている。一見完璧なシステムに見えるπ型も、

大枠としてはそう見えるだけで、その内情は様々な要素が途中でくっついたり、

切り離されたりしながら、今の形に仕上がっているのである。

言い換えれば完璧な教育法など存在しない。

常に時代のニーズに合わせてアップデートしていかなければならない、

ということだろうか。

 

参考

朝倉隆太郎「学習指導要領の改訂と現場の実践」『社会科教育研究』第44号 1980年

『新版 社会科教育事典』日本社会科教育学会編 ぎょうせい 2014年

第5号 なんか俺たちってさ…

学生のときに、「なぜアフリカの国々には直線的な国境が多いのか」という

授業を受けた。結論から言ってしまえば19世紀から20世紀にかけて、

欧州列強と呼ばれるヨーロッパの強国が、地図上の緯線・経線を利用して、

勝手に分割したからである。当然、当該地域の実情など全く無視した

一方的な画定であったため、地形的、民族的、社会的に混乱を生み出した。

その混乱の影響を今日に至るまで抱えている国もあるという。

このように地理と歴史は本来切り離せないほどの関係があるのだ。

そして学校教育でその分野の学習を謳っているのならば、

両分野の関連は当然望まれるべきである。

学習指導要領にはどう書いてあるのだろう。

平成29年度版の指導要領社会科編の「歴史」の部分を見てみる。

 

歴史的分野 内容の取扱い

「歴史に関わる事象の指導に当たっては、地理的分野との連携を踏まえ、

地理的条件にも着目して取り扱うよう工夫するとともに、

公民的分野との関連にも配慮すること」

とあり、歴史を学習する際には地理的要素を取り入れて、

多面的・多角的に考察する能力を育てることが期待されている。

態度としては「地理さん、もっと仲良くしましょう!」と言っているのである。

 

では反対に地理さんは何と答えているか。

指導要領の「地理」の部分を見てみよう。

 

地理的分野 内容の取扱い

「3)教科の基本的な構造や三分野の学習内容の関連性に留意して、

第1学年及び第2学年では歴史的分野との連携を踏まえるとともに、

第3学年において学習する歴史的分野及び公民的分野との関連に配慮した

内容構成としていること。」

 

なるほど、つまり地理の方も歴史や公民と関連していきたいよ

と言っている。しかし、同時に留意事項として以下のような記述もある。

 

「歴史的背景は、現在の地域の特色を捉える上で必要な範囲において

取り上げるようにする」

 

地理が扱うのはあくまで現代社会の様子なのだから、歴史的側面には

必要以上に踏み込みすぎるなよ、と制限をかけているのだ。

冒頭で出したアフリカの国境の話は現在の有り様を説明するための

歴史的背景として登場しているのだが、実際に地理教科書を見ても、

歴史的背景が書かれた記述は、非常に文章の量が少ない。

 

対して、歴史教科書は地理的要素を取り入れようとする態度が強い。

この歴史と地理の態度の違いは、「地理を取り込む歴史」

「歴史を切り離す地理」という言葉で表現されることがある。

歴史は地理を追いかけるが、地理は歴史から逃げていく、

なんとも切ない構図である。

 

近年の歴史教育では、盛んに地域に関する学習を行うことを主張している。

歴史教科書を見ると、地域史が学習対象に置かれ、

その中で地域への愛着とともに、その地理的条件に着目することを

ねらっていると思われる。ちなみに公民の教科書でも

地域づくり・町おこしの項目が取り上げられており、

今後はますます地域学習が社会科のトレンドになっていくのではないかと思われる。

 

ともかくも、ここまで現在の地理学習と歴史学習の性格の違いを書いてきたが、

改めて述べると、地理学習は「その土地の現在の様子」を学習するものであり、

歴史学習は「その土地の過去の様子」を学習する分野である

とまとめることができる。

変形π型のイメージ。地理分野ではその土地の現在の様子を学習し、歴史分野では過去の様子を学習するという位置づけがなされていることが分かる。

筆者もこの立場に基本的には賛同するが、

様々な国際問題(紛争など)や国内での都心や地方での課題が

広く報道されるようになった今日、異文化・他地域の歴史的理解の充実を、

今後の地理教育には求めたい。

地理教科書を眺めると、やはり人口や産業、交通といった政治的・経済的尺度で

地域を見る傾向が強いように思える。

国際化や地域的課題に対応するために、歴史的背景やそれに伴う文化、

人々の暮らしの様子にも光を当てるべきだろう。

 

では、そんな地理・歴史の上に立つ公民分野とはどのような領域なんだろうか。

次稿以降では改めてその捉え直しを行っていこうと思う。

 

参考

中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 社会編

『新版 社会科教育事典』日本社会科教育学会編 ぎょうせい 2014年

第4号 学力ってなんだろう

前稿では、今日における中学校社会科の構造について、

いわゆるπ型の形式が一般的であるというお話をした。

 

つまり1、2年生の間は地理と歴史を学年で分けず、

むしろ地理で幾らか単元を学習したら歴史の学習に移り、

そこで幾つか単元を終えたら再び地理の学習に戻る、という形式である。

ちなみにこうした地理と歴史の学習方法を「地歴並行学習」という。

 

なぜこのような学習形態になったのか。

まぁそれなりの経緯があるようで、社会科という教科の在り方をめぐって、

「1つの教科としての総合性を目指すべきか」それとも

「各分野(地理・歴史・経済・政治・社会など)の独自性を重視すべきか」という

議論が背景にあったらしい。

初の学習指導要領は、早くも昭和22(1947)年に示されている。社会科編も記載されており、ここに我が国の「社会科」の歴史が始まる。

前者は昭和20年代後半から始まった社会科であり、

戦後間もない頃の混迷とした、しかしある意味自由な風潮の中で生まれた。

授業内容は生活や社会上の問題を解決することに主眼が当てられており、

ここにも当時の社会情勢の影響を感じることができる。

現在では小学校3年生から社会科の学習が始まるが、

いきなり歴史や政治の難しい話はしないだろう。

きっと自分たちが住んでいる町や市の様子について学習を行うはずである。

そこに課題解決の姿勢がより強調されたバージョンであると想像して欲しい。

地域どころか社会全体に課題だらけだった終戦直後の日本では、

自ら社会に関わり、問題を解決する実践的な姿勢が求められたのである。

社会科学的知識は、その問題を解決するための手段として用いられた。

だから当時の学習内容の項目を見ても、歴史・地理・公民という

明確な区分は存在しない。あくまで総合的な枠組みなのである。

(とはいえ、実際の中高社会科は地理・歴史・公民的な枠組みも

 もっていたようであるが)

 

しかしこうした生活上の問題の解決という学問的ではない、

いわばフワッとした課題で得た知識や経験は学力と言えるのだろうか。

そんな論争がいずれは起こるだろうというのは、想像に難くない。

 

早くも1958(昭和33)年の学習指導要領では、地理的分野、

歴史的分野、政治・経済・社会的分野(後の公民)の3分野制が制度として確立した。

社会科学として各分野を独立させ、それを相互に関連させるという方針に

切り換えたのである。(系統主義という)

このときの中学社会科は、1年生で地理、2年生で歴史、3年生で公民という

前稿で見た座布団型が原則とされたが、同時に「十分な準備がある場合」には、

地歴の並行学習も可能であるとした。

この部分に戦後社会科(初期社会科)で見られた、なるべく総合的に社会を

捉えようとした流れの影響を受けているのではないかと筆者は考えている。

戦後直後の初期社会科は、生活上・社会上の問題重視の性格が強く、問題の解決による経験が、内容の理解・態度・技能を発展させるという原理に基づいていた。

いずれにせよ現在のπ型社会科は、戦後に生まれた二律背反的な2つの理念

ー「総合性か系統性か」あるいは「統合か分化か」ー

の産物であると言える。

各分野の系統性と社会科としての総合性との調整を図り、

各分野の関連性をより一層生かした指導計画が求められている。

 

しかし、地歴の並行学習を謳っておきながら、その関連性は必ずしも保障

されているとは言えない場合があるという。

次は実際の地歴の関連性について述べたいと思うが、

長くなってしまったので本日はここまで。

 

参考

『新版 社会科教育事典』日本社会科教育学会編 ぎょうせい 2014年

「戦後直後の社会科教科書ー1947~51(昭和22~26)年の文部省著作教科書ー」『近代日本の教科書のあゆみ : 明治期から現代まで』木全清博 2006年

第3号 積み木or座布団

積み木を積むか、それか座布団を重ねるか。

 

中学校社会科の進め方は主にこの2つである。どういうことか。

 

中学校社会科は大きく地理・歴史・公民の3分野が設定されているが、

それを取り扱う順番によって、「座布団型」「π(パイ)型」と呼ばれる

2つの方法に分かれるのである。

 

座布団型社会科

まず初めに座布団型であるが、これは1年生のときに地理

2年生のときに歴史、そして3年生のときに公民を扱う方法である。

3学年あるから、1年ごとに地理・歴史・公民の学習がなされる。

下の図のように表すと、重ねた座布団のように見えるからそう呼ばれる。

地理分野と歴史分野が入れ替わることもあるが、地理分野を1年生に設定する場合がほとんどらしい。

π型社会科

一方で「π(パイ)型」とは何か。まず下の図を見て欲しい。

実際は1つの単元だけではなく、いくつかのまとまり(例:地理で九州地方と中国・四国地方の学習を終えたら、歴史の江戸期の諸改革を学ぶなど)で区切られることも多い。

この積み木を積んだような形であるが、ちょうどギリシア文字のπ(パイ)の形に

似ているところから、π型と呼ばれるようになった。

1・2年生のときに歴史分野と地理分野を交互に学習し、3年生で公民を学ぶ。

ただ実際は、歴史分野は3年生になっても学習が終わらないため、

3年生の夏頃までは歴史、それ以降になって公民に取り掛かるケースが多い。

「変形π型」というべきだろうか。

 

現在の中学校では、座布団型よりもπ型(変形)を採っている学校が圧倒的多数らしい。

みなさんの学校ではどうだったか。

2つの方法に明確に優劣があるわけではないが、これらが生まれてきた背景には

社会科という教科そのものが辿ってきた変遷がある。

 

国の教育の基本方針を示したものとして、学習指導要領というものがあるよ、

というお話は前稿でさせていただいたが、それ自体も実は終戦まもない頃から

作成され続けてきた。

もうすぐ80年が経とうとしていると思うと意外と古い歴史がある。

その中で昭和33(1958)年の改訂の際、教育課程審議会が開かれたのだが、

それを踏まえて、1年生で地理、2年生で歴史、3年生で公民を学習する、

座布団型社会科が原則とされた。積み木よりも座布団が先なのである。

 

その後、昭和44(1969)年の学習指導要領の改訂では社会科は、

「地理的分野および歴史的分野の基礎の上に公民的分野を展開する」という

基本構造が示され、同時に地理と歴史を並行して学習し公民へ繋げていく、

π型社会科への転換が示された。

地理分野と歴史分野を互いに関連させることで、公民分野の下地にしよう

方針に切り替わったのだ。

現在、ほとんどの中学校でπ型学習が行われ、一部ではあるが座布団型学習が

残っているのは、このような背景がある。

 

さて、以上2つの形態を見てきたが、π型社会科をスタンダードな手法として

見た場合、例えば次のような疑問点が挙げられるだろう。

・π型社会科では、地理分野と歴史分野の関連は十分に保てているのか。

・地理分野と歴史分野の学習は、公民分野の基盤としての役割を果てせているのか。

次稿以降では、それぞれの分野の性格や役割を大まかに見て行こうと思う。

 

参考:

村山朝子「社会科のなかで地理教育を考える」『地理教育総説記事』Vol.2 日本地理学会(2007)

第2号 答えはちゃんとあった

学習指導要領というものをご存知だろうか。

 

これは文部科学省により、だいたい10年に一度くらいに出されるもので、

今後の教育の方針を示した計画書とも呼ぶべきものである。

我々が覚えさせられた教科書も、この学習指導要領の方針に基づいて編集され、

検定を受けて学生の元に届くのである。

ちなみにこの学習指導要領、法的な拘束力があり、

これに則らない指導を行った場合、罰則を課されることもあるのだ。

過去にはそれで裁判になった事例もあるという。

そして、この指導要領による規定は各教科にも及んでいる。

もちろん私が大学時代に専攻した社会科教育も含んでいる。

前稿で教育の方向性をどうすべきかと書いたが、実はその答えは、

この指導要領を見ればきっちりと書かれているのである。

平成29年に告示された「中学校学習指導要領解説 社会編」を見てみよう。

学習指導要領は、書店で購入できるほか、文科省のホームページから内容を閲覧することもできる。

第2章 社会科の目標及び内容

『社会的な見方・考え方を働かせ,課題を追究したり解決したりする活動を通して,

広い視野に立ち,グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家

及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力の基礎を次のとおり育成する

ことを目指す。』

 

何となく言いたいことは分かるような、そんな目標である。

そしてこの目標を掘り下げることで、教科としてどんな資質の育成を狙っているのか、

それが学校教育全体にどのように関連してくるのかが読み取れる。

 

「社会的な見方・考え方」という言葉が出てきた。

少し注釈を加えるならば、これは社会で起きていること(起きたこと)の意味や意義、

関連性を学ぶことを示している。

それを学ぶためのフィールドとして、中学校社会科では地理・歴史・公民の

大きく3領域が設定されているのである。それぞれの分野の中で課題を追究し、

問いを解決していく活動が求められる。

 

そして「民主的な国家及び社会の形成者」という言葉も出てきた。

これも非常に大切な言葉であると考えられる。

実際十分に実現できているかは別として、現代の私たちは民主主義の政治制度を

採用している。主権は国民にあるという前提の下、選挙によって民衆の代表者である

議員が選ばれる。民主主義社会の基盤となるのは間違いなく国民自身なのだから、

一人ひとりが社会の形成者であるという意識と知識をもたせるべきである、

ということだろう。民主主義はしばしば多数決に完結しがちであるが、

数の多い意見が常に最善とは限らない。20世紀に登場し恐ろしい政策を行った

指導者の中には(形式的なものも含め)国民からの選挙を通して選ばれた者もいた

そうである。そういう出来事を繰り返さないためにも、

社会科は主権者としての判断力を育てるための教育をする必要があるのですよ、

と言っているのである。

 

社会科では、こうした社会の形成者にとって必要な力のことを

「公民的資質」と呼んでいる。地理・歴史・公民の公民と同じ字である。

3分野で並べられると、公民=政治・経済という印象が強いが、

「公民的資質」においては、公民とは地理的背景や歴史的背景も含んだうえで、

現代社会を分析する力と捉えた方がよいだろう。

このように社会科の目標とは、民主主義社会を形成するための公民としての資質を

育てる教科なのだとまとめることが出来る。そしてそれを身につける手段として、

中学校社会科では地理・歴史・公民の3つのフィールドが設けられている。

 

では、これら3つの関係はどうなっているのだろうか。

学生時代に学んだときには、どうしてもそれぞれが切り離されがちだった。

「俺は地理はまだ点数とれるんだけど、歴史は全然分かんないんだよね。」

そんな会話を友人としていた気もする。

しかしこれらの分野も掘り下げていけば、きっと関係が見つかるに違いない。

次稿では、社会科を構成する大きな3分野の関係について迫っていこうと思う。